70年目の敗戰の日
2015年8月15日、戰後70年目となる敗戰の日。

ヨメさんの実家で今は亡きお爺さんのアルバムを拝見する機会があり、
その過酷な中身を読み進めゲッソリしてきましたので今回はその辺りのお話。

ヨメさんのお爺さんは支那事変以降、陸軍の兵隊さんとして北支の方でまったり。
その後、いわゆる太平洋戦争開戦後はフィリッピンに移動してバターン攻略戦など、
開戦劈頭の快進撃を過ごし、ラバウルに一時期転戦、負傷してフィリッピンに戻り、
傷を癒やすものの、昭和20年のルソン島バキオの戦闘で以下略と言う凄まじい軍歴。

無事生還したと言うのすら信じられん状況なのですが、そんな状況にも関わらず
部隊のカメラマンとして様々な写真を撮り、それを持ち帰っていたと言う超人でした。

資料を見たらお爺さんの所属していた十四軍/十六師団は最後のフィリッピンの決戦において
16,000名中、生存者は僅かに620名… 生存率 1/40 ですか… 壊滅って言葉以外無し。







15081502.jpg
昭和17年初頭の頃の写真は景気が良かったです



15081503.jpg
その後、ラバウルで負傷しフィリッピンへ



15081504.jpg
ルソン島バキオにて、米軍侵攻前のまったりな1枚



状態の良いプリントをiPhoneで撮ってみたのでございますが。

正直、保管状況が宜しくありませんので消えかかっているプリントもあり、
早いうちにとりあえずはスキャンしてデジタル化しておこうとなりました。

ヨメさんの実家の方は戦史などに興味がないようでしたので、凄く大変だねーな雰囲気。
へっぽこではあるものの、その辺りの歴史を齧っている私には貴重な資料が山盛り。
次、ヨメさんの実家に行く時はスキャナ持参でぇぇ!ってな次第でございますよ。

アルバムには写真の他に当時の地図付きな詳細メモも残っていたりしましてですね、
その辺りの整理も出来る内にやっておきたいとなるのでございました、いやこれは凄い。

専属ではないものの、改めて言うまでもなく当時、カメラを持っている人間は貴重なので
お爺さんは部隊のカメラマンとして色んな写真を複数のカメラで撮っていた事も判明。
現存するプリントはベタ焼きが多く、ネガはまだ未発掘なのでございますけれども、
ライカ判は恐らくレチナ(メモにそれっぽい描写あり)、6x6 の中判カメラは不明。
(#117 〜 #149 の内のどれかなのかなぁ… もっの凄く気になるカメヲタでござい)

当時のカメラ事情を知る上でも貴重な資料となりますので、これは色々凄いなぁ…








15081505.jpg
鹵獲品のコダックフィルムと記述のあった1枚



他のフィルムは何だったんだろうなぁ… ネガを紛失していなければ良いのですが。

そんなこんなで、中途半端にしか閲覧出来なかったので詳細は不明な点が多いのですが、
いずれ機会を見て詳しい戦歴や使用機材、フィルムなどのデータを集めてみたいものです。

そして、ブログには上げていない写真など、沢山あったのではございますけれども
◯◯兵曹XXにて戦死、などの羅列でしたので、さすがにこれはなぁ… でした。
ご遺族の方を探してスキャンしたデータをプリントして渡せれば、と思うのですが、
さすがに敗戦から70年となると、遺族の方も… と言う感じなのでございました。




アルバムの最初と最後で人相がまるっと変わってしまったお爺さんに言葉もありません

テーマ:今日の独り言 - ジャンル:写真

2015/08/15 18:15 | カメラな話 | コメント(1) | Trackback(0) | pagetop↑
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コメント
コチラにカキコするのは初めてかな?

お爺さまはとても物凄い体験をしてきたのでしょうね・・・

我が家でも両親が健在だった頃
8月15日は終戦の日ではなく
敗戦の日だと言い聞かされて育ってきました。

タイトルが敗戦・・・
ついココに反応してしまいました
すみません。
ぽんた@は君の嘘 * URL [編集]2015/08/15 21:56
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